Tete*Gift〜お母さんと子ども達の過ごしやすい未来を見つけるためのカフェ&サロン♡〜

こんにちは♡貴子です。Tete*Gift〜てて ぎふと〜は、都内でママと子ども達の過ごしやすい未来を見つけるためのカフェ&サロンです。只今準備中なので、まずはどんなサロンなのか?貴子ってどんな人?というところからお話していきますね♡ ・・・【エンジェルナンバーのブログはこちら♪→http://tetegift0727.hatenadiary.jp/entry/2015/10/11/130239 】

貴子の生い立ち。。① .* *.・

私は、兵庫県の北部にある、美方郡新温泉(旧 浜坂町)に生まれました。


兵庫県って、神戸とか姫路とかのイメージ強いけど、、

実は日本海側もあるんです♪

青森県山口県の間で、唯一 日本海と瀬戸内海に面してる県。。!

(でも、神戸の人とかの南側の人には「ぇ、そこ関西ちゃうって。認めへん!」って言われます…(^◇^;) うちの地元、関西弁じゃないからねw ちなみに地元は山陰なので鳥取弁ですw)


そんな、海と山に囲まれた超田舎の「田邊家 三姉妹の次女」として、私は生まれました(*^^*)


うちの母いわく、「あんたぁ、大人しいけぇ小さい頃は育てやすかったわ〜!」

とのことでしたが、

(…ハィ、空気読んで遠慮してただけだと思いますょー。…と言いたぃw)


母はちょっとお節介なタイプで、ほかの家の子が悪いことをしたら怒っちゃえるタイプの人。

でも、空気読まない(もとい、読めない)ので、時々煙たがられてますが、まぁ…愛すべき方です(*^^*)♡


私はとゆぅと、3歳下の妹が生まれるのを機に、その頃うちの地元では珍しかった2歳児保育に行き始めました。
(親が働いてなくても、保育園に子どもを入れられるレベルの地域なので、基本3歳児からの保育。2歳児では1人だったので先輩3歳児と過ごし、、3歳児からは同級生が10人になりました。)


妹が生まれると、母は分かりやすくいっぱいいっぱいになり、私の2歳上のお姉ちゃんは当時甘えん坊だったので、私が身を引き(?w)おじいちゃんとおばあちゃんの部屋で寝ることになりました♡


おばあちゃんは子どもに恵まれなかった人だったので、私のことも不憫に思ったのか、ワガママ放題♡でしっかり甘えさせてくれました(๑•ᴗ•๑)♪


いつも、働きもののおばあちゃん♡
保育園から帰ると「ぁ、貴ちゃん干し芋あるで(*^^*)♪」と、自分の畑で作ったサツマイモを干したものを食べさせてくれました♡

(お陰で今も、干し芋大好き♡)

そんな感じですくすく育ち。。


でも、母は途中で私が「おばあちゃん、おばあちゃん」ってなってることに気づいて、“おばあちゃんに貴子を取られた”と思ったようでした。(おそらく。あとで否定してなかったし。)


母はコミュニケーションがすごく下手です。
なので、その頃 私に対しても「怒る(注意する)」コミュニケーションが中心になってしまっていました。


もちろん、私もそれだと更におばあちゃんに懐く(なつく)ので、悪循環です。。

そんな感じでしたが、小学校上がる頃には私が大きくなったことで、部屋が狭くなったこともあり、あとはテレビが遅くまでついているのを魅力に思い、私は母たちと繋がっている隣の部屋で、お父さんの隣で寝るようになりました。


そんなこんなで小3の夏、おばあちゃんが小脳(呼吸器とかの調節機関)を悪くしてしまい、少し入院したものの、良くなりかけた時に無理をし容態が悪化……。

心臓マッサージで心肺は戻るものの、自力ではもう維持出来ないようで、そのまま亡くなってしまいました。(おそらく、尊厳死)


**...  ...**
うちの小学校は同級生10人、他の学年もほぼ10人だったので、全校生徒60人ちょっととゆぅ、のどかだけど少なすぎもしない学校でした。

実家から学校まで、子どもの足でも5分かかりません。
一番遠い家の子でも、10分ちょっとくらいだったと思います。

学校から帰って、小学校のグランドに行くと、約束してなくても絶対に誰かが遊んでいます。

なので、その中に入れて貰って必ず遊べるんです(๑•ᴗ•๑)べんりー♡

私は小学校1年生の時、一輪車に憧れていました。
当時はサイズの大きいものしかなく、「小4からね!」って言われていたけど、、
何故かベルマークを交換する際に、小さい一輪車を10個入荷してくれたんです…♡
(あれは、今考えると、引き寄せだったのかしら。。?w)


大喜びで、毎日のように乗りました♡
体育でも、一輪車の時間を先生がつくってくれたり、、

一輪車が得意な人に話を聞いてきてくれて、“一輪車が上手くなるコケ方(落ち方)”を伝えてくれたりしました。

大きい一輪車も新しいものが入り、なんだか軽く一輪車ブームになっていたけど、毎日、、毎休み時間・毎放課後に乗っているのは貴子だけでした。


途中で雨が降って来た日も乗ったりしてました。(笑)


毎日放課後、「先生!一輪車貸してください!!」って、一輪車借りに行きます。


上級生の先生しかいなくて、しかも花壇の整備をやっている時だったりすると、

貴子「一輪車貸してください!(←小1)」

先生「ぇ、一人じゃ危ないょ?(←台車っぽい方の一輪車だと思っている)」

貴子「ぁ…えっと。。乗る方です!」

先生「あぁ、そっちか!気をつけてねー。」


。。って、あの当時から人の思考を読んでたなぁと今気付いた(*´艸`)笑。



そんな感じでハマッてたから、親も小1の誕生日に赤い一輪車を買ってくれたの♡

今考えると、あれは大奮発だったな〜ぁ♡(うちの姉妹は貴子しか乗れないから、完全に私だけのモノ♡だったしね♪)


小2になる頃には、ジグザグになっていたけど、宙乗り(支えなしで乗る)からのバック走行をしていました(*´艸`)♪

ハマったら、トコトン♪です。
子どもにとっては、かなり長い時間だったんじゃないかなぁ……?1年半、一輪車をみっちり♡

そんな、小学生でした(*´艸`)笑。