2016.12.17 Facebook♡
言葉ってやっぱり難しいな、と。
一方を立てると他方が立たないなんてことは、どう丁寧に選んで伝えても起こることで。
でも、説明し過ぎると軸を失った文章になるので、本末転倒だしなと、キンコン西野さんのブログを読みながら感じたのでした。
**... ...**
↓シェアした記事。
(このあと、12/20頃に内容が改変されていました(*^^*))
これを読んで、育児を頑張ってるお母さんは傷つかないで欲しい。
「作品」に対する産んだ後の愛は、ある意味「自分の好きなタイミングで愛を注ぐのをやめる・1日休む」ことだって出来るから。
さっき、ちょうど↓こんなことを考えていて、
私は「衣・食・住(危険感知も含む)を守る!」ことを最低限することを決めて、あとはやりたくなったら適宜する、、っていう腹6分目くらいで子育てする“つもり”でいた方が、我が子の子育ては良いんじゃないかなぁ〜なんて、ぼんやり思っていた。
子どもだって、困ったら考えて行動するし、案外 親が使えない方が(←こら!)頭を使って「生きるチカラ」のある子が育つんじゃないかなぁ〜なんて、考えている私です。
それにおそらく、腹6分目のつもりでいたところで、7〜8分目を越える日も多いと思う。
そういう意味では、「6分目のつもり」くらいがちょうど良いのかなぁ〜。なんて。
なんとなくだけれど、「完璧」を求めて、がんばりすぎて、心が疲れてしまって→結果、子どもに振り回されてしまうお母さんが割と居ると感じていて。
子どもの要求を飲むことと、怒ることしか出来なくなってる時って、かなり心が切羽詰まっていると思うんだ。
で、周りからも、自分自身の中からも、「こんな育児して!みっともない!」という言葉が時折浴びせられて、更に追い込まれてく。
ここの悪循環に入ると、なかなか大変だと思うのだよ。
うん。
だから、ひとときで良いから、ママが手や目を離しても大丈夫な時間をつくりたくて、「自宅サロンを作りたいな」と思っていた時期があったし、多分 子どもを産む頃にはやると思う。
お茶代を払ってでも、子どもと遊びたがっている大人はいるもんで、そこの需要と供給を繋ぐ場をたくさん作るだけで、お互いwin-winになれるんじゃないかな?って、いつも思うんだよね。(*^^*)♡
そして、「母親になりたい私」としてじゃなくて、「作品の作り手」としては、この雑誌がとっても気になります(๑•ᴗ•๑)♫