ふと、少し昔のことを思い出したんだ。
こないだ ふとしたタイミングで、「私が死にたかった時」の話になって。
少し、驚かれた。
私の「死にたいタイミング」って、みんなとは多分、少し違って。
「ただひとつだけ、、これがないなら、どんなに幸せそうなところで、みんなに慕われていても、ゆっくりと心が死んで行くんだろうな。。それならいっそ、この命、いつなくなっても大丈夫。自分が痛いのは別に良いけど、迷惑をかけず病院で息を引き取って→家族に保険金が降りるような死ぬ方法ないかな〜。。。」
と、思いながら、いつも通り接客して、いつも通りスタッフと談笑していた頃が1年ちょっと前にあった。
私の占いやカウンセリングのスキルも、それ以外も全部全部、、
「その人のため」に使えないのなら、とても空虚でカラッポな気持ちになる。
そもそも、私は反骨心が原動力にならない人だから、「生きてる意味」が常にないと生きていられないのだけど。。
「生きてる意味」がかなり希薄なタイプなのだ。
*
そして今日またふと、、
「おおかみこどもの雨と雪」の録画を見ていて、
「…あれ、私また “生きる意味” を失くすのかなぁ。。?」
と過ってツーンと不安な気持ちになった。
こーゆー気持ちって、自分じゃどーにもこーにもコントロールは出来ない。
1年前のソレの時はかなりヤバかったけど、フワッと生き延びた。
今回なんて、それに比べたらどーってことないだろう。
でも、泣きそうになる。
「もう、(あの時みたいに)応えてくれないのはイヤだ…!」
が、今日少し溢れ出して来た。
どうなるかなんて、きっと本人達にも分からない。
それだと良いんだけれど。
世の中の人もきっと、揺れてる。
今日も占いが盛況そうだ(๑•ᴗ•๑)、