Tete*Gift〜お母さんと子ども達の過ごしやすい未来を見つけるためのカフェ&サロン♡〜

こんにちは♡貴子です。Tete*Gift〜てて ぎふと〜は、都内でママと子ども達の過ごしやすい未来を見つけるためのカフェ&サロンです。只今準備中なので、まずはどんなサロンなのか?貴子ってどんな人?というところからお話していきますね♡ ・・・【エンジェルナンバーのブログはこちら♪→http://tetegift0727.hatenadiary.jp/entry/2015/10/11/130239 】

【続①】私のやりたいことは、「お母さんになりたかった」だった。。❗️❗️❗️(・ω・ )

 

続②があるか不明だがw

また気づきがあった時には、ぜひ書こうと思います♡

 

 

↓元ネタ記事。

tetegift08234.hatenablog.com

 

 

          .☆*・

 

 

最近、友達が自分の過去をブログに書き始めて、、

「ぁー、そーいや、ブラックっぽい内容書いてないわ、私。笑」

って気付いたので、最近の気づきと共に綴ろうと思い立ちました。(๑•ᴗ•๑)

↑あくまでも、自分の興味・趣味で♡笑。

 

貴子の生い立ち記事は、記事検索でテーマ別の「貴子の生い立ち」にあるからテキトーに読んでね♡

長いけどw

長いくせに12話まであるし、まだ途中っちゃ、途中だけどw

でも、つづき書くか、わからないけどw

 

 

 

で、、

 

こないだ

『私のやりたいことは、「お母さんになりたかった」だった。。❗️❗️❗️(・ω・ )』の記事を書いてからふと思ったのよね。

 

 

「ぁー、母さん嫌いだったのは、彼女のする『子育て』に納得いかなかったからだったわ、私。』

 

と。笑!

 

 

フツーさ、、

反抗期とかって、

「自分をもっと分かって!!」みたいなのが根源だったりするじゃん?

 

あと、「親が世界のすべてじゃなかった!(幻滅、、)→ゆえに、自分探しの反抗期」みたいなのとか。

 

 

でも、私の場合、、

後者の要素も含みつつ、、

 

「なんで、こんな子育ての仕方しか出来ないの!!?」

 

 

……だったよね、、+°.(ノ∀ `o)!笑。

 

 

もうね、視点がね。。。

 

子ども目線じゃなくて、「同じ母親として!」目線かょとw

 

しかも。高校生くらいで、それだったよねww

 

 

 

逆に言うと、「この程度の子育てしか出来ないのに、親になっている大人が多い」ことを問題視してたし、憎んでいたし、自分はなりたくなかった。

 

 

だから、心理学に興味をめちゃめちゃ持っていたのだと思う。(๑•ᴗ•๑)、

 

 

 

ただ、私の人生の目的である、

「母親になりたい♡」は、このうちの母的モデルがいたことによって、

 

『“ ただ、母親になるだけ ” じゃ、ダメだ!!』

 

と、私の何かを突き動かしたのは間違いなぃww

(もちろん、無意識だけど♡)

 

 

 

で、高校生当時は、そんな母を心の中でも実際にも他責しまくっていたため……。

 

 

まーぁ、“責めなきゃいけない事象” がくるわ、くるわww

 

*以前、ブログにも書いた気がするけど、他責も自責も、やり始めるとどんどん増えていきます。引き寄せの法則で、「フォーカス(集中)すると、増大する」があるのです♡これは、良い事象も悪い事象も一緒♡

 

 

 

高校生時代は、とくに進路を考え始めた頃からイライラしまくっていましたね。

すごい勢いでw

 

 

 

今 考えると、

「進路考えなきゃ」

    ↓

「母親になりたい。」グレー文字は、無自覚。

    ↓

「(母を見て)あれはヤダ。」

「そして、自分の夢を押し付ける親にもなりたくない。」

    ↓

「歌は好き。

芸能人にはなりたいけど…やり方わからないし、

『夢なの!』っていうほどの恥ずかしい情熱はないし。

そもそも、うちには専門行くにもお金はない、、。

じゃー、大学通いながら勝手にオーディションとか受ければ良いとして〜、、

堅実で現実的で、今 一番興味のある「カウンセラー・心理士」が良さそう♡」

 

 

、、って決めたけど、

 

実際には、

「今のままの自分じゃ、母親としてはダメ!もっと、心のこととか勉強しなきゃ!!」

、、みたいなのはあったと思う。うん。

無意識にね( ̄▽ ̄)

 

 

 

で、ちなみに。

 

 

高3の受験は、実は失敗したw

*私立って選択肢がなかったし。

 

まぁ…家に勉強する環境が作って貰えてなかったからな〜ww

 

元々イライラなってるのに加えて、環境はホントになかった( ̄▽ ̄)

 

参考書代ケチられるしw

 

どの部屋にいてもテレビの声聞こえるしw

 

まず、家族みんな「勉強すること」に意味を持っていなかったので、協力体制なんて、なんじゃらほい?状態ww

 

でも、結果的にはお堅い心理士なんて私には性格的に無理だったので、今みたいに気楽にカウンセリング入れつつ占いしてる方が楽しかった訳だがw

なので、結果オーライ♡

 

 

 

で、、

 

高3の受験当時、、。

 

もう時系列の記憶はおぼろげだけど、

「ぁー、死にたいな〜」って思っていた。

 

多分、地元の国立の後期試験日を待ってる辺りくらいからだった気はする。

 

当時、自由登校になっていたので、家にいた訳だけど、、

 

家だとテレビとか、あと人の声もガチャガチャうるさいしイライラするから、図書館行きたかったんだけど、、

 

通学の定期が切れていたタイミングで、電車代が往復400円くらいかかる図書館への電車賃なんて、くれとは言えなかった。

(いや…言ったかもだが、即却下で1回で諦めたかも…?)

 

 

で、試験終わった結果待ちの頃かな?

 

 

元々 夜型体質なのと、静かな時間が好きなので、食事もみんなとズラして、、

でも、多少迷惑かからないように、姉が仕事から帰って来た21時とかに一緒に食べたり。

 

 

夜も、テレビ放送がなくなるまで起きてたんだけど。

 

 

で、みんなが起き始めた6時くらいから寝始める。って生活をしていたの。

 

 

 

でね。

バスタオルを顔の下に敷いて、ずっと、、止めどなく流れる涙を吸わせていた。

 

 

ただ、、泣いていた。

(自分でも、その感情に名前とか定義とかつけてないから、泣いていた以外はよく覚えてないんだけど……悔しさとやりきれなさだった気もする。子どもゆえの無力さと、そこから発生する、親への恨みとか。)

 

 

たまに、

「窓から飛び降りたらどーなるかな〜」とかも考えはしたけど、、

 

コナンとか金田一とか読んでたせいもあって、「脊椎損傷→下半身付随。。。? それはヤダなw」とか、妙に冷静な思考があったw

 

 

「だったら、痛いのやだしw」

↑案外、一線越えない理由は「痛いのヤダ」だったりするw でも、みんなそんなもんみたいねw

 

 

で、

気持ち的には親からはもう離れたかったし、、

「ちゃんと、然るべき空間で勉強してみたい(やっても、学力は上がらなかったかも知れないけど、ちゃんとやってみたい)」っていうのがあって、

 

 

途中から、

「このままここにいたら、私が壊れちゃうから、とりあえず、黙って家を出て、お金貯めて、大学行こう。」って思って。

 

 

それでよく、後期試験の前辺りから、地元の仕事情報の新聞広告とかを見てたの。

 

 

そうしたら、大阪のキャバクラの仕事が載ってて。

 

 

で。

大阪まで鈍行と快速を乗り継いで、片道5〜6時間かけて日帰りで行ったw

 

 

いつも、夕方以降しか家族とは顔を合わせないから、、

 

そーっと5時台とかの始発に乗って。

*領収書出せば交通費は負担してくれるとのことだったけど、さすがに乗車券往復で7000円出すのが当時は精一杯だったので特急とか無理だったw

 

 

やっぱり不安ではあったから、ZEEBRAさんとかのイカツイ音楽をMDで聞きながらww

 

 

 

面接が終わって、ホッとして、帰りながら、電車で少し、寝てしまった。

 

 

当時は、ケータイとかにも乗り換え案内なんてない。

(乗り換え駅に着く時間とかも不明。目的駅まで何駅かとかも、確認出来るような表示がない電車もあるし。)

 

 

目が覚めた時にはちょうど駅に止まっていて、

初めての土地だから、一瞬、、目的駅を過ぎたような予感がして、とっさにホームに降りてしまった。。

 

でも実際には、まだ目的駅よりずっと前の駅だった( ̄▽ ̄)、あはw

 

田舎だから、そのあとは30分後、、。

 

そうなると、地元の電車は1時間毎だから、目的の時間までに帰れないことになる。。。((((;゚Д゚)))))))!

 

 

 

親にバレたw

 

さすがにキャバクラとは言えず、なけなしの言い訳で「工場の面接、、」とは言った。

 

 

一悶着あり、「黙って家出して勉強に集中する計画?」は私の方も心が折れてやめたw

↑やっぱり、不安も大きかったのだょね。笑

 

 

高校の先生との面談を希望して、話してたら、「奈良の保育短大で、夜間の3年制とかもあるよ」と、言われた。

 

 

当時の私には、

「(心理学やりたいのに……心の形成に大事な時期に携わるのはわかってるけど、保育はなんかちがう。)」

 

って思って、ちょっと、ムーっと思っていた。

(けど、実は引っかかりはあって、その頃から保育士も気にし始めた。私に心理学の面白さを感じさせてくれた、あの先生が勧めたのには意味がある気がしていたからだと思うし、「子育て」を体で知りたかった欲求はあったと思う。)

 

 

結局、、

地元で働くなら免許を取らないといけないけど、さすがに実家から出ないという選択肢は私にはなかったので、、

 

免許は取らず、近場の、鳥取で「寮付きの派遣」の仕事を見つけて来た。

*県境なので、鳥取へは電車や車で30〜60分くらい。

 

で、晴れて4月から一人暮らしライフを始めたのだった♡

 

 

荷物は多くなかったので、引っ越しは親に車を出してもらった。

 

 

料理とかも、卵焼きとか炒め物くらいしかしたことがなかったけど、全然ヨユーだった♡

 

 

姉に2万円だけ借りて、1万円で通勤用の自転車を買って、、調理道具とかも揃えて、、。

 

 

野菜好きだし、1ヶ月分の食費を5000円以内にしてやる!って、意気込んでたw

↑節約の知識は多少自信あったので。(本人が思っていただけだけどw)

 

 

初日はお好み焼きを作って食べた♡

 

 
すごーーーく、、幸せな気分だった( ̄▽ ̄)♡

 

 

 だって、誰かの不快そうな声もしない♡
 
 
ずっと、欲しかった空間が手に入った♡♡

 

 

 

そして、仕事はICチップの検査業務ってゆう、両眼顕微鏡を覗きながらのめっちゃ細かい作業だったけど、

 

無心っぽく出来るし、機械音で搔き消されるから歌とかちっちゃく歌えるし、考えゴトするの好きだから、私には結構合っていたw

 

 

 

だけど、時折 ふと母との何かを考え始めると、なんか、悔しいのか悲しいのかわからないけど涙が止まらない時があった。

(でも、みんな顕微鏡を覗いてるし、無塵服でマスクもするから、泣いてるとかほぼ見えないのですw)

 

 

その儀式を、

「これは、なんだろな〜。」と、思いつつ、、。

たぶん、色々を浄化してたのかな?と今は思う。

 

 

「自分らしく」を剣のように振るっていたようで、実はかなり気を使ったのちにそれをやっていたので、罪悪感やらもいっぱいだったと思う。笑

 

でも、どうしても、「お母さんの子育ては何かちがう!!」が出るので、それで自分を正当化して、罪悪感を消そうと努力していたのかな〜と、今は思う。

 

 

 

だから、あとで保育士になって実際に保育をしてみて、

「ぁ、私の思い描いていた子どもとの関わり方って、やっぱり出来るじゃん!」って、検証できたことで、「ぁー、私とお母さんは別の人だ。」と、どこか着地したような気はしてる(๑•ᴗ•๑)

 

この感覚って、実は「子どもに夢を押し付ける親になりたくない!」よりも、私にはコアな課題だった気はするんだ。

 

結局、ちゃんと必要なことを選んで来たんだと思うw

 

 

今までは、離れていることで色々から身を守って来た。

 

私自身がイライラしないことが、家族全体のイライラ増幅と、やはり関わってもいるからね( ̄▽ ̄)

 

 

でも、今回10月に数日帰るんだ。

 

 

しかも、茨城行きを決めて、たぶん引っ越したあとに。

 

 

これは、何か起きそうw

 

 

そして、9/14に私の31回目の誕生日を迎えたあとに会いにいく。

↑生まれた日も入れたら、正確には32回目か?ww

 

 

これはホントに、何か起きそうw

 

 

 

 

前回から2年開いてるし、2年前にも自分の成長を感じれたんだ。

(あまり、イライラしなくなってた。無意識に神経使ってて、首コリ半端なかったけどww)

 

 

 

 

でも、これといって言葉とかプランとか、そういうのは考えてないんだ〜♫

 

 

だって、たぶん「そこにいる」だけで、何かが変わって、完成する気がするから。(๑•ᴗ•๑)

 

 

それが、今からすごく楽しみなんです♡うふw

 

 

 

                   .☆*・

 

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                   .☆*・