貴子の生い立ち。。⑦ .* *.・
高校2年の頃、倫理(歴史)の先生の話が好きだった。
厳しい先生だったけど、親鸞さんの話とかしてくれて、、
みんなは「ぐはぁ〜!あいつの授業面倒くせー!(寝れないし)」って感じだったけど、私は割と好きだった。
「心の鏡をいつもピカピカにしておくことが大切」という話を良くしてた。
その頃からなんとな〜く、心理学に興味があった。
多分、、自分のことを知りたい・ひいては自分の家族のこと(状態)をもっと深めたかったんだと思う。
その頃には気づいていなかったけど、自分ん家の居心地の悪さは何とかしたいと思っていたみたい。
ちょうど、高1で家を建て替えて、、高2の頃には父が一時的に失業していたから、割と家は荒れてた。
父もパチンコでお金使い込んでしまったり、、。(とはいえ、今考えるとそんなに額は大きくないので、父も抑えた方かと思います。崩れきらなかったのは、偉いなぁ〜と♪)
母はそれでも共依存的な立ち位置にいたり。。。
すごく、ギスギスしていた。
そして、受験に向けて私がイライラしていた。
うちの姉は勉強が大嫌い。
高校も行きたくないと言っていて、2コ上なので、私の高2の頃は地元のスーパーに就職して1年目だった。
私は受験勉強を始めたけれど、全然環境は整っていなかった。
自分の部屋に帰っても、離れているのにテレビの声やみんなの笑い声が聞こえる…。(ギスギスしているのに、テレビを見てる笑い声があるのは、私の心をかなり逆撫でしていたと思う。)
9畳の部屋を姉と真ん中で仕切っていたけど、当初付けると言っていたアコーディオンカーテンすらもなく、、一部タンスで仕切っていたけど、一番低いところは横置きのカラーボックス程度。。。
姉は当時 お笑いにハマッていて、仕事のストレスの発散はもっぱら録ったお笑いのビデオを見ること。
…受験勉強出来ませんでした。
しかも、夜中ほど私は集中できる。。
子どもの頃から夜の静けさが好きだったけど、
もう、その頃にはもう夜は静かではありませんでした。
イライラして、姉には長いコードのイヤホンを買い与え、、笑い声はなんとか我慢しました。
でも、好きな科目ならまだしも、それ以外の科目を集中してやることはやはり無理でしたね、、(´・ω・`)、
他に勉強場所を見つけようと思ったけど、試行錯誤しても、結局うまく見つからず、、。
(ちなみに、実家はおじいちゃんがいた頃から、夜中以外は学校帰って来てからずっと、テレビ付きっぱなし。机がある辺りはテレビの音がどこにいても聞こえます。小3の頃、それが嫌で物置きになってた部屋の一部を片付けて貰って、自分の机だけ置いて貰いました。)
でも、元々そんなに集中が得意ではないから、学校とか図書館とか使っても、うまく集中して勉強出来ず。。
(親が協力してくれてないから、当たり前なんですがw)
割と自分の不甲斐なさも責めつつ、親や姉も責めていました。
「(学校も近いし、移動時間も短縮出来るから)勉強するから、おばあちゃん家に行きたい!」(←唯一、落ち着いて勉強させてくれそうな砦)
って言ったら、
「そんな迷惑はかけられない!」と言われました。
(あの当時、あれだけ親に文句やら言いまくっていたのに、、「…迷惑こうむってるの、私なんですけど。。!」という自信はまだ無かったようでした、、(๑•_•๑)、)
↑多分、そこ否定されたら私の自尊心がズタズタになるからだと思うけど… うちの母は世話好きだけど空気や相手の気持ちを読むのが苦手なところがあるので、、それ(ズタズタ)を確実にやらかしてたと思う。。。私、言わなくて正解 orz||笑。
そんな感じで高3になり、、
友達で心理学興味あったコが受験先の私立の校長に気に入られたとかで、貰ってきた本がすごく私の転機になった。
河合隼雄さんの、「心の処方箋(文庫本版)」これは、今迄 理論の本しかないと思っていた私に、事例と照らし合せて理論を理解させてくれて、すごーく理解が早かったの。
この本だったかは忘れたけど、河合隼雄さんの本の一節で、
「愛情の器はそれぞれ大きさが違っていて、そこがたっぷり満たされていっぱいになって溢れないと、人に対して愛情を注ぐことは難しい。時々、その器が大きすぎて、愛情を与えても与えてもそうならない人がいる。でも、そこを満たしてあげた時、他の人と比べ物にならないくらいの愛情を人に注ぐことの出来る人になる」
という感じの文章を読んだの。
「わかんないけど、貴子はそれかも知れない…(だとしたら、大変な子だけど、お母さんが満たせなかったのも無理ないかもー?)」という気持ちになって、、
少し心が軽くなった。
(てことは、自信なかったし自分責めてたんだねー。。。(´・ω・`)、)
**.
高3は、受験にも使う予定だった、倫理を専攻していた。
先生がまた、心の鏡の話やらに加えて、心理学っぽい、、親と子の関係の話やらもしていた。
時々、なぜだか目が潤んだ。
ある倫理のテストの日、、
一文だけ書いてあって、「物語の続きを書け」という、“ちゃんと書けば点数くれる”的なテストを出題された。
そのテストがね、、実は一番自分の心と対峙しなくてはいけなくて、すごーく大変だったの。
書きながら、心理学もかじっていたから、自分が書いてる意味も何となく分かって、、テスト中なのに涙が止まらなかった。
(書くのをやめたいくらいだったけど、点数のこともあるし、とめどなく溢れてくる涙をそのままにして、書いた。(止めようとすると声出るしw))
今考えると、すごく分かる。この時感じていた以上に、“説明出来ないからこそ苦しい” 実家の現状があったこと。
**..
そんな感じで受験に挑んだものの、やはり上手くは行かず、、。
後期試験前の真っ只中だったけど、自由登校になったのを良いことに、家にこもりきりになった。
とはいえ、部屋的に引きこもりは叶わないので、朝ごはんとかの時間をズラし、、夜ごはんも遅めに帰ってきた姉と食べたり、、。
とにかく父と母には会いたくなかった。
毎日、時より涙が止まらなくなるので、バスタオルを持って布団にこもっていた。
「こっから(2F窓)から飛んだら、ラクになるかなぁ〜。。。」と、浮かべたり、「近くの火の見やぐらから。。」と思ったけど、変に推理マンガが好きだったのもあって、
「……これ、助かって下半身付随とか、一番やなパターンにならないか……?li(っω-`。)il汗。」と、そこは妙に冷静で、、w
最終的に、
…だったら!と思い、後期試験を受けた直後、
完全犯罪のように(?)家出をすることを目論んで、大阪のキャバクラに面接に行ったこともあった。
キャバクラで働きながら、1年間勉強して、定期的に模試を受けて、、ついでに学費も稼いでやろう!って思っていた。
でも、鈍行の電車でしか行く手段はなかった(領収書と交換で交通費はくれるって言われたけど、新幹線は払えなかった)し、、朝早起きした疲れもあって、うたた寝して→飛び起きて、まだ乗り換えじゃない駅で降りてしまったので、帰りが1時間遅くなり(地元は1時間に1本レベル)、遠出していたことが親にバレてしまった。
「工場で働くために面接に行った…」となけなしのウソをついたら、神戸の叔父(薬剤師で、一族では頭が良い)に相談する母。。
結局、「父が働くために免許取れって」と、母が伝達に来た。
(……けど、そのお金、またお姉ちゃんから借りるつもりなんでしょ。。?そんなのヤダ!!)と思った。←父、当時まだバイト程度で定職付けず
ただ、お陰で大阪に一人で行く勇気は折れた、、。
(寮付きか、、1ヶ月でマンションとか借りられるよーな高額の仕事。
とにかく、家を出ないとどちらにしろ大学には行けないし(勉強的に)、、まずあそこにあと1年もいたら、私が壊れる。。
とりあえず、仕事して、大学の模試とかも受けながら、学費もある程度稼ごう。
なんて思っていたら、高卒とか関係なく、21万円以上貰える派遣の仕事があった。
しかも、マンション寮付き。
面接に行って、4月から働き始めることに。
ひとまず、前借り不可とのことだったので、家具はリースで借りて、姉に2万円だけ渡してもらった。
まずは通勤のためにも、当時発売されたばかりの「AEONの1万円の自転車」を買って、、キッチン用品や掃除用具(100均)と調味料を揃えて、、
初日はキャベツと小麦粉と人参を買って来て、お好み焼きにして、写メして友達に送った(*´艸`)笑!
。。すごく、嬉しかった。
家を出られたことが。
喧騒から離れられたことが。。
家事は少し大変だったけど、、
それすらも喜びだった気がする。
テレビなくても、ボーッとしてたり、料理をするのがとにかく楽しかった♡
(…大変だったけどw)
…そこで、メッチに出逢った♡